SK blog 〜令和〜

雑多なこと、いろいろ。

食べ過ぎ注意!土鍋で炊くお米はやっぱり美味しい!

忘れないようにメモしていた下書きをやっと公開💧
過去記事は割と熱が入ってしまったのか、文字量多めになってしまったので、その流れで書こうと思うと思ったら、ネタが早速尽きてしまいました、、、
流れをリセットして、ライトな日記でも😅

炊飯器が壊れた機会に土鍋でご飯を炊こうかなと、11月に三合炊きの炊飯用土鍋を買いました。
炊飯用土鍋、すごく便利です。
普通の土鍋と違って二重蓋になってるので、吹きこぼれる心配がないのがありがたい🙌
おこげも良い感じでできます。
ちゃんと蒸らせば、おこげとかも鍋底にこびりつかないのも嬉しい🙌

そして何よりもご飯が美味しすぎる!!
美味しすぎて、お米を食べ過ぎてしまうのが土鍋の悩みです。
最新の高価な炊飯器も土鍋のように美味しいようですね。

とにかくお米が美味しいと、もう主役級。
卵かけご飯にして、おかわりをしてしまうので、ついつい食べすぎてしまいます。
私のお気に入りの炊き方は、白米に雑穀米を入れるのが好きです。

学生時代は文化系で体育以外運動をしてこなかったせいか、代謝は良い方ではなくすぐに太ってしまう、、、
運動も特にしていないので、食べ過ぎには気をつけないとですね😓

炊飯器があると、なかなか土鍋でご飯を炊く機会はありませんが、たまにはぜひやってみてください。オススメです!

炊飯土鍋で炊いた雑穀米。おこげもしっかりできます。

直火でふっくら炊けます。中に内蓋があります。

 

東隧道(あずまずいどう)昭和レトロなトンネル。横浜市保土ヶ谷に行ってきた。

初秋のとある日、用事で神奈川県横浜市保土ヶ谷に行きました。

道中、トンネルがありまして。地図を見てトンネルがあるのは知っていたが、まさかこのような、山?丘?を掘った馬蹄型のトンネルとは!

 

地元は平地だから、トンネルと言ったら電車とかのガード下みたいな感じばかりで。このトンネルは何だか旅行とかじゃないと見られないようなまるでミステリー作品に出てきそうな趣きもある感じでテンションが上がりました🙌

 

気になったので後から調べたら、東隧道(あずまずいどう)という、昭和初期に横浜市に建設された、全国的に珍しい水道幹線路と公道併用のトンネルとのこと。認定歴史的建造物・土木学会選奨土木遺産に選定されていて、歴史的価値のあるトンネルでした!

 

同じ時期に作られた大原隧道(おおはらずいどう)という兄弟トンネルが横浜にあるそうです。
そちらも機会があれば行ってみたいですね😃

 

予想外に知らない土地で歴史的建造物に遭遇し、たった半日でしたが、去年の秋から旅行も自粛してるので何だか旅行した気分になり、楽しい感じを味わえたので良かったです。

少し涼しくなってきたし、近場で人が少ないような所を巡ってみるのもいいかもですね😃

宗教とは無縁で無関係だった★介護事業会社の日本ヒューマンサポートに行った時の話

オリンピックもとうとう終わってしまい、毎日の楽しみが無くなってしまったところで、お盆休みに入りました。
出かけるにもコロナ禍だし、そして毎日暑いですね、、、😵こうも暑い日が続くと地球は大丈夫なのかと思ってしまう今日この頃です。


今回は仕事の関係で日本ヒューマンサポートという会社が運営している介護施設の一つに行ってきた時のことを書きたいと思います。

日本ヒューマンサポートという会社は埼玉県下を中心に茨城県や東北地方、北海道などに沢山の介護付き有料老人ホームやデイサービス、居宅介護サービスなどの介護事業施設やサービスを展開している業界最大手の一つの介護事業関連会社です。

さて、あくまで個人的にですが気になったことがあります。実はこちらの会社、宗教と関係があるのではとの噂がインターネット上で見かけることがあるのです。
事業所の場所をネットで検索した時に、会社そのものが宗教法人がベースだとか、宗教団体が出資し作った会社だから、宗教活動に勧誘されてしまうだとか、個人情報を盗まれる(そんなバカな!?😓)とか、ちょこちょこと見かけることがあったので、ちょっと気になっていました。

当日、担当の方のAさん(仮)と施設内で打ち合わせし、その後、一緒に昼食をしに車で出かけました。
Aさんの運転で、自分が助手席に座り、Aさんはこの暑い最中にわざわざ遠くから日帰り出張しにきた私を労ってくれました。
他愛のない世間話をしながら、私はタイミングを見計らって、例の噂の、お宅の会社の日本ヒューマンサポート社が宗教団体との関連企業だという話をネットなどで見かけましたけど、そうなんですか?と聞いてみました。
Aさんは、以前にも別の業者さんにも同じような話を聞かれたことがあるのですが、当社にそんな噂があるんですね、と少し困った顔で聞き返してきて、そんな話はデタラメなんですと返答をしてくれました。
まあ、簡潔に言うと、宗教団体とは縁もゆかりもなく、普通の介護事業関連会社だということで、ネット上で見かける宗教との関連企業だのなんだのという噂は、完全なるデマ情報だということだったのです。
Aさんの真面目な口ぶりを聞けば、その話が真実であるということがよくわかりました。

私はAさんに失礼な質問をしたことを謝罪し、引き続き他愛もない世間話をしながら、昼食は和食にするか洋食にするかを考えることにしました。

昼食後、施設に戻り、打ち合わせの続きと施設内の案内をしていただき、大量の施設案内を貰って帰りました。コロナ禍でリモートが多くなってきていることもあって、今日も出先からの直帰でした。
今日対応してくれたAさんも含め、施設にいたスタッフの皆様は一生懸命に日々、介護のお仕事をされていると思います。そんな方々が会社同様に言われもない噂に巻き込まれてしまうのは可哀そうだなと思いつつ、以前書いた「飛地山心霊スポット」話のように、インターネット上に見かけるネガティブな噂など本当に当てにならないものだと常々思いました。

広告収入を得たいとか、フォロワー数を増やしたいからなのか分かりませんが、平気で根拠のない噂やきちんと調べたわけでもないデマ情報をネットで書くのは、その先に迷惑を被る人たちがいるという想像力が欠如した本当に無責任な行為だなと、このような事が続いたせいか、ネット社会の関わり方というのを改めて考えさせられました。
当社もそのような事実とは異なることやデマを噂されないように、ネットの情報には気を配らなくてはと思いました。

気になったことも分かってスッキリしたので、休み明けは打ち合わせで決まった事項をまとめて資料を作成しないとな!

初ブログ〜千葉県流山市流山駅近辺に行ってきた!歴史と流山のデマ心霊スポットの話

初めてブログを書きます。自粛生活なので地味な毎日ではありますが、最近、仕事で千葉県の『流山市』へ行ってきたのでそのことを書こうと思います。

 

全然知らなかたのですが、流山は新撰組ゆかりの地だそうですね。
幕末のことは、学校での歴史の勉強の知識ぐらいしかなかったので😅

 

流山には、新撰組局長の近藤勇が最後に駐留した陣屋跡地、隊士が宿をとったお寺、砲台が置かれ発射された場所など、歴史的ゆかりのある地が多いです。

この流山は近藤勇土方歳三の今生の別れの地とのことで、新撰組ファンにとって涙の地ですね。

 

流山市』がなぜ新撰組ゆかりの地なのかということは、流山市のホームページに詳しく書いてありました。

>>新選組と流山|流山市


 JR線で馬橋駅まで行き、「流鉄流山線」に乗り換えて、馬橋駅から10分ちょっとぐらいで流山駅に着きました。
都心から一番近い森のまち、ということだけあって、とてものどかな感じですが、車窓の風景は、意外と駅の周りはマンションや住宅はいっぱいあるなという印象です。

 

流山駅を降りると、この辺り一帯は飛地山という藩主とかの飛び地領(本拠地と離れたところにある領地)だったとのこと。

飛地山は、実は関東でも有名な千葉県の流山心霊スポット!といういわれがあるのです😨元処刑場で、掘ってみたら人骨がたくさん出てきたとか、血が飛び散る様から元は「飛血山」という名称だったとか、幽霊を見た!とか💧更には、飛地山で近藤勇が処刑された!とか、、、でもそれらの話はただの噂話だったということが、ここ近年ではっきり示されたとのことです。
飛地山跡地を埋蔵文化財に係る市の試掘調査を行い、専門家に分析してもらったところ、それら事項は学術的根拠のない流説で、住居跡地などしか発掘されておらず、人骨は出ていないこと、処刑跡地ではないという結果だったとのことです。

>>出典:流山市街づくり委員会会議録


そもそも近藤勇の処刑地は、東京で。流石にそれは日本史で習いました。土方歳三は北海道の五稜郭で討死。
幽霊だって、住民の方たちは取り立てて見ているわけでもなく、騒ぎ立てる人たちはわざわざ他所から興味で来る人たちのようです。強い好奇心や恐怖心というものは、脳を刺激して錯覚を起こすようなので、きっとその類ではないでしょうか。

 

新撰組に関わる話をメインにしようと思ったら、興味が流山心霊スポットの話の方に行ってしまいました😅


現在、飛地山だったあたりの北側には市役所が建っています。
昔は高台になっていて、新撰組の別動隊がそこに大砲を置き、流山に来た新政府軍に砲撃をしたそうです。
新政府軍も反撃し、近藤勇たちがいた本陣は包囲され、砲撃した別動隊も制圧されました。
この後、事態を収拾するために近藤勇は大久保大和を名乗って、幕府公認の治安隊で、新政府軍に反抗する意思はないと主張し、慶応4年(1868年)4月3日、出頭します。
後に近藤勇だと判明し、4月25日に東京都板橋で斬首されます。
近藤勇が出頭後、流山に残っていた隊士たちは会津へ向かいます。
近藤勇土方歳三、この流山が今生の別れの地となりました。

 

仕事で行ったので、ゆっくりと歴史散策や地元グルメは味わえなかったけど、毎日の自粛生活に疲れていたので、久しぶりにプチ遠出ができたので、それだけでもリフレッシュできました。

 

歴史散策や新撰組が好きな人でまだ流山に行ったことがない人は、ぜひ行ってみてくださいね😄飛地山も心霊スポットじゃないということも分かったので。笑