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初ブログ〜千葉県流山市流山駅近辺に行ってきた!歴史と流山のデマ心霊スポットの話

初めてブログを書きます。自粛生活なので地味な毎日ではありますが、最近、仕事で千葉県の『流山市』へ行ってきたのでそのことを書こうと思います。

 

全然知らなかたのですが、流山は新撰組ゆかりの地だそうですね。
幕末のことは、学校での歴史の勉強の知識ぐらいしかなかったので😅

 

流山には、新撰組局長の近藤勇が最後に駐留した陣屋跡地、隊士が宿をとったお寺、砲台が置かれ発射された場所など、歴史的ゆかりのある地が多いです。

この流山は近藤勇土方歳三の今生の別れの地とのことで、新撰組ファンにとって涙の地ですね。

 

流山市』がなぜ新撰組ゆかりの地なのかということは、流山市のホームページに詳しく書いてありました。

>>新選組と流山|流山市


 JR線で馬橋駅まで行き、「流鉄流山線」に乗り換えて、馬橋駅から10分ちょっとぐらいで流山駅に着きました。
都心から一番近い森のまち、ということだけあって、とてものどかな感じですが、車窓の風景は、意外と駅の周りはマンションや住宅はいっぱいあるなという印象です。

 

流山駅を降りると、この辺り一帯は飛地山という藩主とかの飛び地領(本拠地と離れたところにある領地)だったとのこと。

飛地山は、実は関東でも有名な千葉県の流山心霊スポット!といういわれがあるのです😨元処刑場で、掘ってみたら人骨がたくさん出てきたとか、血が飛び散る様から元は「飛血山」という名称だったとか、幽霊を見た!とか💧更には、飛地山で近藤勇が処刑された!とか、、、でもそれらの話はただの噂話だったということが、ここ近年ではっきり示されたとのことです。
飛地山跡地を埋蔵文化財に係る市の試掘調査を行い、専門家に分析してもらったところ、それら事項は学術的根拠のない流説で、住居跡地などしか発掘されておらず、人骨は出ていないこと、処刑跡地ではないという結果だったとのことです。

>>出典:流山市街づくり委員会会議録


そもそも近藤勇の処刑地は、東京で。流石にそれは日本史で習いました。土方歳三は北海道の五稜郭で討死。
幽霊だって、住民の方たちは取り立てて見ているわけでもなく、騒ぎ立てる人たちはわざわざ他所から興味で来る人たちのようです。強い好奇心や恐怖心というものは、脳を刺激して錯覚を起こすようなので、きっとその類ではないでしょうか。

 

新撰組に関わる話をメインにしようと思ったら、興味が流山心霊スポットの話の方に行ってしまいました😅


現在、飛地山だったあたりの北側には市役所が建っています。
昔は高台になっていて、新撰組の別動隊がそこに大砲を置き、流山に来た新政府軍に砲撃をしたそうです。
新政府軍も反撃し、近藤勇たちがいた本陣は包囲され、砲撃した別動隊も制圧されました。
この後、事態を収拾するために近藤勇は大久保大和を名乗って、幕府公認の治安隊で、新政府軍に反抗する意思はないと主張し、慶応4年(1868年)4月3日、出頭します。
後に近藤勇だと判明し、4月25日に東京都板橋で斬首されます。
近藤勇が出頭後、流山に残っていた隊士たちは会津へ向かいます。
近藤勇土方歳三、この流山が今生の別れの地となりました。

 

仕事で行ったので、ゆっくりと歴史散策や地元グルメは味わえなかったけど、毎日の自粛生活に疲れていたので、久しぶりにプチ遠出ができたので、それだけでもリフレッシュできました。

 

歴史散策や新撰組が好きな人でまだ流山に行ったことがない人は、ぜひ行ってみてくださいね😄飛地山も心霊スポットじゃないということも分かったので。笑